大森靖子長崎公演「海へ行こうよ」に行って
2014年9月14日の長崎公演に行って感じたことを書いておく。
坂に立ち並ぶ建物と、ゆっくりと走っていく路面電車が目に入った。
長崎の風景の中に立ち、この土地で大森靖子さんのライブを見られることを、嬉しく思った。
会場となる旧香港上海銀行長崎支店記念館は、海の傍にある、静謐で美しい建物だった。
そこに、次々と人が集まってくる。
素晴らしいものが見られる予感しかなかった。
手渡されたチケットには、一枚一枚、可愛らしいスタンプが押されていた。
今回の公演は、大森靖子さんのファンの方個人によって企画・運営されたものだった。
私には想像してみることしかできないが、主催者にとって大森靖子さんの音楽が思い入れのあるもの、大切なものであるだけに、それに伴う緊張感は凄まじいものだったのではないだろうか。
それを抱え続けた時間の先に、この日が用意されたのだ、と思った。
大森さんのライブは、かきむしるような感情の発露が、在る。
しかし長崎での演奏はその苛烈さと同じくらい、私が見た中で最も、旋律の美しさが記憶に残った。
大森さんは、「音楽は魔法だ」と、どこかで作られてきた音楽への憧憬に乗っかることはしない。
それを壊そうと、そして自身の言葉で語ろうとする。
だからこそ、彼女が夏フェスで演奏以外のインパクトあるパフォーマンスを続けたことは、必然であると思う。
目の前の、肉体を持つ人間に届けようとするならば、それを取り巻く現実にも目を向けざるを得ない。
私達は色々なコードを用いて物を見すぎているし、刺激にも慣れすぎている。
言葉には全て、既に何かしらの色が付いている。
それらを剥ぎ取り、自身の音を伝える場所を、自身の力で与えようとする。
だが全てを剥ぎ取るのは不可能であり、また、本当に全てを剥ぎ取るならば音は単に空気の震えに過ぎず、文字はインクの染みに過ぎない。
私達は淀みの中でしか物事を感受することができない。
困難な試みだと思う。
しかしそれをはっきりと見つめ、一筋の隙間を縫うように、自らの音をこちらに届けようとする。
今回の公演は、長崎という大森靖子さんのライブが初めて行われる土地で、彼女の音楽によりよい居場所を与えようとする主催者の思いが、こちらにまで伝わってくるような企画だった。
そして、大森さんの演奏はそれに応えるように、こちらにまっすぐに差し出されるものだった。
本当に、素晴らしいものだった。
忘れられないだろう、と思う。
この一日を享受できたことを、感謝したい。