庭へ

書きたくなったら書く。

大森靖子さん別府公演

大森靖子さんのライブに行った。

別府のライブは永久別府劇場(元ストリップ劇場)、ブルーバード劇場(映画館)、と毎回わくわくするような場所で嬉しい。

今回も、ホテルニューツルタ(明治創業の老舗!)の宴会場(お座敷!)という素晴らしいシチュエーションだった。

大森さんは、見る度に可愛く強く発光していらっしゃる。本当にもう、なんて可愛くかっこいい生きもの!と、登場なさった瞬間、ニコーっとしてしまう。

縷縷夢兎の衣装、デコラティブで可愛くってなおかつ大森さんの綺麗な身体のラインに沿って色っぽくて、ほんと、お似合いだなあ、と見惚れる。

素晴らしい時間。「流星ヘブン」「LADY BABY BLUE」の弾き語り、聞けて嬉しかった。

大森さんは「少女性」というキーワードで語られることが多くて、たしかにそれも重要な面ではあるんだけれど、でもそれだけじゃないんだよな、と思う。

普段生きていて、自分の中に、どうしようもなく子どもな部分、おめでたい能天気な部分、ひどく疲れて老いた部分、重苦しい部分、馬鹿馬鹿しい部分、とごちゃごちゃしている。それもどんどん変化する。

人間は有機的な存在なんだよね、というのを体当たりで表現し続けてくれるところが、私が好きな理由の一つなんだろうなあ、と思う。生を肯定する表現。縷縷夢兎の衣装も動きがあって、有機的な印象なのも(ほつれ朽ちるのも含めて)大森さんの戦闘服として最強なんだろうなあ、と思う。

とびきり可愛い強化外骨格(『覚悟のススメ』)、みたいな。違うか。

 

MCのお話も、よかったなあ。生活の垢。生きてるもんね。ここしばらく頭の中で抱えていた詩人の文章と大森さんの表現、私の中では繋がっている。

 

人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
原子以来、神は幾億人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。(『月に吠える』萩原朔太郎

 

 

大森靖子長崎公演「海へ行こうよ」に行って

2014年9月14日の長崎公演に行って感じたことを書いておく。

 

坂に立ち並ぶ建物と、ゆっくりと走っていく路面電車が目に入った。

長崎の風景の中に立ち、この土地で大森靖子さんのライブを見られることを、嬉しく思った。

 

会場となる旧香港上海銀行長崎支店記念館は、海の傍にある、静謐で美しい建物だった。

そこに、次々と人が集まってくる。

素晴らしいものが見られる予感しかなかった。

 

手渡されたチケットには、一枚一枚、可愛らしいスタンプが押されていた。

今回の公演は、大森靖子さんのファンの方個人によって企画・運営されたものだった。

私には想像してみることしかできないが、主催者にとって大森靖子さんの音楽が思い入れのあるもの、大切なものであるだけに、それに伴う緊張感は凄まじいものだったのではないだろうか。

それを抱え続けた時間の先に、この日が用意されたのだ、と思った。

 

大森さんのライブは、かきむしるような感情の発露が、在る。

しかし長崎での演奏はその苛烈さと同じくらい、私が見た中で最も、旋律の美しさが記憶に残った。

 

大森さんは、「音楽は魔法だ」と、どこかで作られてきた音楽への憧憬に乗っかることはしない。

それを壊そうと、そして自身の言葉で語ろうとする。

だからこそ、彼女が夏フェスで演奏以外のインパクトあるパフォーマンスを続けたことは、必然であると思う。

目の前の、肉体を持つ人間に届けようとするならば、それを取り巻く現実にも目を向けざるを得ない。

私達は色々なコードを用いて物を見すぎているし、刺激にも慣れすぎている。

言葉には全て、既に何かしらの色が付いている。

それらを剥ぎ取り、自身の音を伝える場所を、自身の力で与えようとする。

だが全てを剥ぎ取るのは不可能であり、また、本当に全てを剥ぎ取るならば音は単に空気の震えに過ぎず、文字はインクの染みに過ぎない。

私達は淀みの中でしか物事を感受することができない。

困難な試みだと思う。

しかしそれをはっきりと見つめ、一筋の隙間を縫うように、自らの音をこちらに届けようとする。

 

今回の公演は、長崎という大森靖子さんのライブが初めて行われる土地で、彼女の音楽によりよい居場所を与えようとする主催者の思いが、こちらにまで伝わってくるような企画だった。

そして、大森さんの演奏はそれに応えるように、こちらにまっすぐに差し出されるものだった。

本当に、素晴らしいものだった。

 

忘れられないだろう、と思う。

この一日を享受できたことを、感謝したい。